狭く屈折あり

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    【 嫁に泣かれた話 】

    たわないない会話の中で「俺は早死だと思うから、おじいさんになって死んだら後はよろしくねwww」みたいな話題?はカップルでも夫婦でもあることだと思う。


    この間娘が産まれて数週間くらいのこと。

    そんなようなことを話したら、嫁がポロポロと泣き出した。


    曰く


    「貴方が死んだら私もすぐ死ぬ」

    「つらすぎて後を追う」

    「あなたのいない世界に意味はない」


    と。


    「死んだら俺はもう思考しないんだし意識ないんだからそんなことはやめてくれ」

    「第一子供がいるから寂しくないだろうし、子供も哀しむよ。もし万が一意識があったら俺も哀しむよ。」


    と俺。

    いや、それとこれとは別なのよ、と嫁。


    まぁ、そんなこんなをとりとめもなく、お互いに感情的になって話した。

    死を思ってかなりセンチになったし、俺もジーンとした。


    「後を追う」


    その言葉が、その時その瞬間の気分だとしても、将来それが実行されないにしても(全然してほしくないのだけれど)、実はすぐ他の人と幸せになるとしても、そう言ってくれた事は、とてもとても嬉しかった。


    いつか終わり、今も虚無に向かっている人生だけど、最後は一人になってしまう人生だけど、その路の途中で、ここまで言ってくれる人と出会えてよかった。


    結婚したときのブログで「いつか死によって別れるのが怖い」と書いた。

    大事なものがますます大事になって、ますます怖くなったけど、救いも増えたような気がする。


    夫婦でポロポロ泣いた夜は、瞬間かもしれないけど無くならない。


    夫婦でいい人生を送ろう。

    そして死ぬその日まであの日のことを覚えておこうと、思った。


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      | 生と死 | comments(0) | posted by curlcord |
      【 営業で売った年間4,500万円の売上より、企画を売った年間1億6000万円の売上のほうが価値があるなと思った話。 】

      ■「営業と企画、営業とマーケ、営業と財務、どちらがより、会社や組織に富をもたらすか?」

      これは、広告を扱う人ならよく耳にする、よくある議論のテーマである。

      まぁ、これは結局のところ答えはなく、

      ・「人による」

      というのが答えだろう。
      稼げる営業は年に数億〜稼ぐだろうし、稼げる企画はそのアイデアで数億〜の消費を生むだろう。

      実はずっと疑問だったことがある。

      ■自分の場合は、営業と企画実際はどちらのほうが稼げるのか?

      企画時代は当然、企画のほうが自分の価値が高まると思っているので稼げると思っていたけれど、営業を一年間やってみて、それなりに積み上がった数字を見ると「回りくどいやり方なんてしないで自分の足で稼いだほうが早いし額も大きいのでは?」という疑問が立ち上がった。

      そこで今回は売上の生データを見ながら、「私という人間の場合」は「営業と企画どちらのほうが社会に金銭的価値を与えられるか?」について考えてみたいと思う。

      ■結論【営業より企画のほうが2倍から3倍稼げる】

      掲題でも触れているが結論から言うと、

      ・営業で稼いだのは年間4,500万円
      ・企画で稼いだのは年間1億6000万円(2017年稼働中のものは8000万円)

      だった。

       


      これによると約2倍から3倍、企画のほうが自分にとって高い生産性を維持できると言えそうだ。

      内容を補足すると、

      ・営業数字の内訳は社内数字から吐き出した2016年11月から翌10月までの引き継ぎ銘柄も含む売上累計

      ・企画数字の内訳は自分が企画、ディレクションしてウェブサイトを作りゼロから立てた売上由来の年間累計

      である。

      ※企画数字は、異動により2017年中に引き継ぎ関われなかったものや、成果の有無ではなく社内政治的な要因で中止になってしまったものを、継続性は当然あったとし、過去の実績を今年もあったと仮定して入れたもの(1億6000万円)と、その仮定を除いたもの(8000万円)に分けた。

      ※企画数字の中にはWeb以外の紙やプロモーションなどの広告企画由来の売上、各種投資による売上は含んでおらず、実際はさらに数百万〜程度上乗せがある推定である。

      ■持続性の問題:自分の産んだ価値は持続するか?

      営業に於いて特に感じたのはこの問題だった。

      100本新規にテレアポとメールでアプローチし、5件商談を取り付け、1件10万円の契約を取ったとしよう。
      そのなけなしの契約の多くは、悲しいことに全く反響が無く、当然ながら一回きりの実施で終わる。
      こうした20件の契約のうちの約一件(広告の費用対効果に寛大な客)がようやく継続受注に至るが、またその中でも1年以上契約が継続することは更に稀であり、5年となるとこの会社に入って数社しか見た事が無い。

      つまり売上を維持するためには常にショット(単発)でのフロー利益に依存することになる為、日々新しい顧客を求めテレアポ、訪問、販売を続けるしかないスキームなのである。

      一度発注が無くなってしまえば、自分の産んだ価値は持続せず、引き継ぎもできない。会社に価値は残らない。

      一方、企画に於いては一度「売れるスキーム」をウェブサイト上で作ってしまえば後はほとんど統計の問題で、予算を増やしたり、内部構造を改善すれば売上も上がる。

      当然、その仕組みは資産計上可能であり譲渡も売買も引き継ぎも可能である。

      私が携わったプロジェクトにおいてほぼ全てが5年以上継続してきたものばかりで、継続によるストック利益は広告主にとっても有益なものとなっている。

      ■自分の投資収益率、内部収益率

      これはもし自分が経営者であり雇用する側であった場合、判断にあたって大きな要素になる。雇用した人間が体調を壊したり退職した場合、フロー収入だとそれで終わりだた、ストック収入であればそれは資産として仕組みが稼いでくれるようになる。

      雇用を一つの投資として考えたとき、投資収益率と内部収益率でその収益性を測ることができるここでは仮に年収を500万円とした場合(実際はこれより低いとも高いとも言いません(笑))、私という金融商品の価値は、

      ・投資利益率(ROI) =(売上額 − 全投資額) ÷ 全投資額(%)*100

      営業:(4,500万円-500万円)/500万円*100=800%
      企画:(16,500万円-500万円)/500万円*100=3,200%

      となる。
      もちろんこれは売上であり、利益でないため一概には言えないが会社に入るインカムを根拠に考えるのであれば指標としては使えるだろう。
      (しかしこうして計算してみると、金融商品などを比べると自分の価値がいかに高いかがわかる。論理上は自分以外についても営業マンを売上以下の給料でどんどん雇えばずっと利益が生まれることがわかる)

      さらに継続的な価値をみることができる内部収益率でみてみると、

      営業:10年間の累計CF  399,999,990 円

       

      企画:10年間の累計C  1,449,999,990円


      となり10年後のCFでは約15億と、約4億と、3.6倍もの開きがでるのである

      同じ賃金を払うのであれば後者のほうが市場価値が高いと判断されるのは言うまでもないだろう。
      (今勤めている会社ではそういう判断にならないのが問題なのだけれど…苦笑)

      ■数字以外のキャリア評価軸は?

      そもそも、自分の仕事の価値を考える際数字以外にもいくつか考えておく必要のある項目がある。それぞれについて営業と企画の軸から自分の場合どうか考えてみたい。

      ・交換性≒自分の仕事は、別のものや人に交換できるか?‎

      →営業は正直、自分の仕事は(向き不向きこそあれ)誰でもできるものであり、かつ残念なことだが「自分だから」発注してくれる人はほぼ居ないことがわかった(営業において重要なスキル「人たらし」が自分には決定的に少ないのだ)。
      一方、企画においてはたしかに、自分より稼ぐ人はいくらでもいるが「お前だからお願いするよ」と個人を指名してくれる人が多く、自分にしか作れない仕組み・売上もあった事から交換性の面において、キャリア形成に当たっては企画のほうが有利だといえる。

      ・競合性≒‎別のものや人が沢山いるか?別のものや人のほうが成果が上がるか?


      →おそらく日本のサラリーマンで一番多い職種は「営業」ではなかろうか。
      その点で競合が最も多い市場である。
      かつ、自分より数倍稼ぐ営業はいくらでもおり、つまり「性能」でも競合と比べて劣っている。
      こうなると競合に対して多く選択されるためには賃金を下げて調整するか、地方などに働く場所を変えるか、待遇について条件を下げるしか取るべき戦術はなくなってきてしまう。
      一方で、企画に於いては(ものを売ることが仕事である)営業と比べ、それそのものの概念が曖昧で(コンサル的要素から経営者的な要素まで)あることから、競合軸が取りづらく、個性を出しやすい面がある。それを加味しても「性能」面でも大手代理店のミドルクラス以上である自負はある。
      競合も少なく、性能も対して低くないので、価格弾力性の影響を余り受けず賃金を下げるオファーをしなくとも市場である程度競争力をもった交渉ができるのではないかと考える。

      ・将来性≒会社、業界全体の未来はあるか?給与水準が上がる未来はあるか?
      →業界全体として短期的には好調か、横ばいである。
      今後日本の高齢化が進む未来にあって、すぐに市場がなくなることも、競合がパライムシフトを起こすこともないだろうと予想され、よって会社の売上が危機的な状況になるとは思えない。
      しかし、逆に爆発的に増えることも無いため、今後高騰する40〜50代の人件費を巡って限られたパイを奪い合う形となり、今後10〜20年の間は給与水準は据え置きとなり、今後さらに企業への貢献を下としても自分が1,000万円超にアップする未来は無いと言えるだろう。
      自分が努めている会社は営業会社であり、かつ大企業の子会社であるため、企画の自分が本部長以上の職責を得ることは100%に近くありえず、ましてや平均年齢が50歳を上回る現状としては今後20年(自分が54歳まで!)は現状維持であることが想定される。
      そこまで何も動かないとすると自分のスキルや人的資産は社内に最適化され、ロックアウトされ、固定化されてしまい、転職の可能性も道も閉ざされてしまうのである。

      ■結論:どこかのタイミングで、独立するか自分の価値のわかる企業に転職するほうが得である

      以上ダラダラと述べてきたが、結論は冒頭に述べたものと変わらない。

      ・約2倍から3倍、企画のほうが自分にとって高い生産性を維持できると言える

      これはつまり、営業に身をおくことは自分にとっても会社にとっても機会損失の不利益そのものであり、避けるべき状況であるはずだ。
      だとするのではあれば、考えられるのは

      ・独立
      ・転職

      であろうか。
      その際はまた別のステップを踏んでメリット・デメリットを考察する必要があるだろう。それはまた別の機会に回すとしよう。

      追記:この記事を書いている最中に突然、企画への辞令が発令された。これはこれで結論と道を同じくする喜ばしいことである。一方で、組織の将来性の部分などについても考察する必要があり、これはこれでまた、検討していくものとしよう。

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        | 思想 | comments(0) | posted by curlcord |
        【 全然ブログかけてなかった理由と、突然書きたくなった理由について 】

        最後の記事を書いてからもう、このブログを放置して2年になってしまう。


        そもそも自分にとってこのブログは「自分が何を考えたか」を残す場所である。

        すなわち、社会や他者からの要請ではなく、内発的な動機によって行動された唯一の自分が生きた物的証拠が残る場所だ。


        にも関わらず、このブログを2年も放置してしまった。

        原因の一つは、一昨年から今年にかけて、家族と仕事についてますます多くの事に責任と選択が必要になり、選択には学びが必要であり、学びには時間が必要であり、それにより時間がなくなった事による(もうひとつは後で記す)。


        ここ数年の自分を振り返ってみると、確かにがむしゃらに仕事に家族に社会に、実に色々な企画をし、提案をし、実行をし、現実(当時で言うところの未来)を変えてきた。


        が、それらにすべての時間とエネルギーを費やして来た為に、家族と仕事以外のアウトプットは全くできていない。

        特に、自分の為のアウトプットをや。


        つまり、この数年自らの内部を表現も出来ていないし、表現する訓練も蔑ろにしてしたことに気づいたのだ。


        今一度、「思ったこと」のアウトプット訓練場として、自分の脳内マイルストーンを残していこう。


        これが、放置の憂き目にあっていた自分のブログを見直して行こうと思った目的である。


        さて、そもそもこのブログは、大学の頃から一貫してそうしたことを目的として始まったはずでいくら忙しくともコツコツ続けてきた。

        上手くいっていたなのに、いつから、何故できなくなってしまったのか?それが二つ目の原因でこれが根本的である。


        このブログに約6年前、母の看取りという経験と心情を記した。

        それ自体は当時、家族以外の他社に本質的な共感を得られない自分としては(親がまさに癌になっている人などいないので当たり前だが)、孤独で混乱して挫けそうな心を、一旦外部に吐き出し、整理し、外部化して眺め、振り返り、自分の文章に自ら寄りかかる事で救われた事、前に進んだこと、そもそも家族死という体験、気持ちを忘れないという点でとても役にたった。


        だが、その強烈な体験を記すとう行為は、副作用としてそれと同じ場所に「人生の重要ごと」以外を記す事への不謹慎さというか、罪悪感を生んだ。

        つまり、ブログへの記載について、自分の中のハードルが上がってしまっていたため、自ら「人生の重要ごと」しか記録できない呪縛を作り上げていた事になる。


        親の死と同じ場所に書くのだから、しっかり机に向かって、資料を揃えて書かなきゃいけないものだし、人生に影響を与えるような発見でなければならない。


        当然、そんな時間も場所も、トピックスも滅多にあるものではない為、結局、何も書かず、何もアウトプットできず、何も記録に残っていない状況が数年間も続いてしまったのだった。


        これでは目的に対して本末転倒だし、自分も成長しないし、母も喜ばないだろうと、6年経って自分の頭で考えて、もっというとこうして記事にしている過程でやっとわかったのである。


        意識が変わったことは自覚できた。

        では、具体的にどのように行動を変えていくのか。そのステップを箇条書きにする。


        ・ちょっと落ち着いて考えたいなと思ったことは都度Googlekeepにメモする


        ・例えば、自分の仕事の生産性について、自分にとっての良いデバイスについて、自分の行きたい場所について、知りたい事について等


        ・PCではなく携帯で打つ


        ・移動中などの10分から30分で、考えをまとめてとりあえず世に出す


        ・書くことでのアウトプット方法の学習と、無意識的課題の外部化、漠然とした悩みから、具体的な課題への変化を目指す


        以上である。

        あとは実行するのみだ。


        人生は恐ろしく短い。

        素晴らしい瞬間は永遠に続くと思う。

        来年も再来年も続くと思う。

        だけど実際は一瞬しかない。今しかない。

        自分もみんなも変わっていく。

        振り返るとあの時の一瞬はもう無い。

        全部淡い思い出になってしまう。


        特に「その時考えた事」は夢は幻と同じ。

        自分の中にしかなく、自分しか生み出せないし、交換も他人に任せることもできない。それは自分にとっては金より価値のあるもののはずだ。

        だが、伝えなければそれらは全て自ら忘れてしまい、そのうち死ねば全部無くなる。


        だからできるだけ、記そう。また記そう。

        もはや誰も振り返らず、読むことのないだろう、この忘れられた場所に。


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          | ブログについて | comments(0) | posted by curlcord |
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